ひとことで言うと#
人事の意思決定を**「勘と経験」から「データとエビデンス」に転換する**アプローチ。採用・育成・評価・離職など人に関するデータを収集・分析し、組織の課題を数字で可視化し、打ち手の効果を検証する。Googleが「優れたマネージャーの条件」をデータで解明した手法としても有名。
押さえておきたい用語#
- 記述的分析(Descriptive Analytics)
- 「何が起きているか」を可視化する分析のこと。離職率の部門別グラフや、エンゲージメントスコアの推移など、現状を把握する最初のステップ。
- 予測的分析(Predictive Analytics)
- 「何が起きそうか」を予測する分析のこと。離職リスクの高い社員を早期に特定するなど、問題が顕在化する前に手を打てるようにする。
- エンゲージメントスコア
- 従業員の仕事や組織への愛着・没頭度を数値化した指標のこと。定期的なサーベイで測定し、組織の健康状態を把握するバロメーターとして使う。
- 相関と因果
- 2つの事象が同時に動くか(相関)と、一方が他方を引き起こすか(因果)の区別のこと。「残業が多い人は離職率が高い」は相関であり、残業を減らせば離職が減るとは限らない。
ピープルアナリティクスの全体像#
こんな悩みに効く#
- 離職率が高いが、原因が特定できない
- 採用に多額の投資をしているが、活躍する人材の共通点がわからない
- エンゲージメント施策を実施しているが、効果が測定できない
基本の使い方#
データ分析の前に、「何を知りたいのか」を具体的な問いにする。
良い問いの例:
- 「入社1年以内の離職率が高い部門はどこか?その要因は?」
- 「高パフォーマーに共通する採用時の特徴は何か?」
- 「エンゲージメントスコアとチームの業績に相関はあるか?」
- 「マネージャーの行動のうち、メンバーの定着に最も影響するのは何か?」
ポイント: 「データがあるから分析する」ではなく「解決したい課題があるから分析する」の順番が重要。
問いに答えるために必要なデータを特定し、収集する。
主なデータソース:
- HRシステム — 入社日、部門、役職、異動履歴、退職日
- エンゲージメント調査 — 満足度、心理的安全性、上司への信頼
- パフォーマンスデータ — 評価結果、目標達成率、360度フィードバック
- 勤怠データ — 残業時間、有給取得率、遅刻・欠勤
- 採用データ — 応募経路、面接評価、内定承諾率
ポイント: プライバシーへの配慮は必須。個人を特定する分析は避け、集団の傾向として扱う。データの利用目的と範囲を事前に定義する。
データからパターンや因果関係を見つける。
分析レベル:
- 記述的分析 — 「何が起きているか」を可視化する(例: 部門別の離職率グラフ)
- 診断的分析 — 「なぜ起きているか」を探る(例: 離職率とマネージャーの1on1頻度の相関)
- 予測的分析 — 「何が起きそうか」を予測する(例: 離職リスクの高い社員の早期特定)
- 処方的分析 — 「何をすべきか」を提案する(例: 離職リスクを下げる具体的な施策)
ポイント: 相関関係と因果関係を混同しない。「残業が多い人は離職率が高い」は相関。残業を減らせば離職が減るとは限らない。
分析結果に基づいて施策を実行し、データで効果を測定する。
- 仮説に基づいた施策を設計する(例: 「1on1の頻度を上げれば離職率が下がる」)
- 可能であればA/Bテスト形式で効果を検証する
- 施策の前後でKPIの変化を測定する
- 効果がなければ仮説を修正し、別の施策を試す
ポイント: 一度の分析で完璧な答えは出ない。仮説→実行→検証のサイクルを回し続けることが重要。
具体例#
状況: IT企業(200名)。新卒の1年以内離職率が25%と業界平均(15%)を大幅に上回っている。「若い人の根性がない」「売り手市場だから仕方ない」と経営陣は諦めモードだった。
ステップ1: 問いの設定 「入社1年以内の離職率が高い部門はどこか?離職者に共通するパターンは何か?」
ステップ2: データ収集 過去3年分の新卒データ(配属部門・上司・研修参加・エンゲージメント調査・退職理由)を整理。
ステップ3: 分析
記述的分析の結果:
| 部門 | 入社者数 | 1年以内離職率 |
|---|---|---|
| 開発A | 15名 | 13% |
| 開発B | 12名 | 42% |
| 営業 | 18名 | 28% |
| CS | 10名 | 40% |
| マーケ | 8名 | 12% |
診断的分析で見つかったパターン:
- 離職者は「上司との1on1が月1回未満」が78%(在籍者は22%)
- 離職者は「入社3ヶ月目のエンゲージメントスコアが急落」していた
- 開発B・CS部門のマネージャーは1on1の頻度が全社最低
ステップ4: 施策と検証
- 該当部門のマネージャーに週1回の1on1を義務化
- 入社3ヶ月目に人事による「定着面談」を導入
- メンター制度を全部門に展開
1年後の変化:
| 指標 | Before | 1年後 |
|---|---|---|
| 全社1年以内離職率 | 25% | 12% |
| 対象部門の離職率 | 40%超 | 18% |
| 1on1実施率(週1回以上) | 34% | 88% |
| 採用コスト削減額 | — | 年間約1,800万円 |
「根性がない」のではなく「フォローアップが不足していた」ことがデータで判明。離職の原因を勘ではなくデータで特定し、ピンポイントの施策を打ったことで、採用コスト年間1,800万円を削減できた。
状況: 精密機器メーカー(500名)。年間40名を採用しているが、「入社前は優秀に見えたのに、入社後のパフォーマンスが振るわない」ケースが多い。採用面接の評価と入社後の業績評価の相関を分析したことがなかった。
問い: 「入社後に高パフォーマンスを発揮する人材に共通する、採用時の特徴は何か?」
データ収集:
- 過去5年分の採用データ(面接評点・適性検査・経歴)
- 入社後のパフォーマンス評価(3年分)
- 360度フィードバック結果
分析結果:
| 採用時の評価項目 | 入社後の業績との相関係数 |
|---|---|
| 技術スキルテスト | 0.62(強い正の相関) |
| 過去の実績・経歴 | 0.41(中程度の相関) |
| 構造化面接スコア | 0.55(強い正の相関) |
| 非構造化面接スコア | 0.12(ほぼ相関なし) |
| 学歴 | 0.08(ほぼ相関なし) |
衝撃的な発見:
- 「非構造化面接(自由にフィーリングで判断)」の評価は、入社後の業績とほぼ無相関
- 「学歴」も業績との相関がほぼゼロ
- 最も予測力が高いのは「技術スキルテスト」と「構造化面接」
施策:
- 非構造化面接を廃止し、全面接を構造化面接に移行
- 技術スキルテストの配点を30%→50%に引き上げ
- 学歴フィルターを撤廃
2年後の変化:
| 指標 | Before | 2年後 |
|---|---|---|
| 入社2年目の上位評価者率 | 22% | 41% |
| 入社1年以内の離職率 | 15% | 8% |
| 1人あたりの採用コスト | 85万円 | 68万円 |
| 面接官間の評価のバラつき | 標準偏差1.8 | 標準偏差0.7 |
「面接の印象」で採用するのは、サイコロを振るのとほぼ同じ精度だった。データが「構造化面接と技術テストが最も予測力が高い」と証明したことで、面接官も納得して採用プロセスを変えられた。
状況: 地方の総合病院(職員400名・12診療科)。患者満足度調査で全国平均を下回り、特に「スタッフの対応」が低評価。しかし、どの診療科のどんな要因が原因かは「現場の感覚」に頼っていた。
問い: 「職員のエンゲージメントスコアと患者満足度に相関はあるか?影響する要因は何か?」
データ収集:
- 全職員のエンゲージメントサーベイ(半期ごと・12項目)
- 患者満足度調査(診療科別・四半期ごと)
- 勤怠データ(残業時間・有給取得率)
- 職員の研修受講履歴
分析結果:
| 職員側の要因 | 患者満足度との相関係数 |
|---|---|
| 「上司を信頼している」 | 0.71(非常に強い) |
| 「仕事にやりがいを感じる」 | 0.64(強い) |
| 「チームの雰囲気が良い」 | 0.58(強い) |
| 月間残業時間 | -0.52(負の相関) |
| 「給与に満足している」 | 0.18(弱い) |
診療科別の詳細分析:
| 診療科 | エンゲージメント | 患者満足度 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 小児科 | 4.2/5.0 | 4.5/5.0 | 科長が月1回の全体MTG実施 |
| 整形外科 | 2.8/5.0 | 2.9/5.0 | 残業月50時間超、1on1なし |
| 内科 | 3.5/5.0 | 3.6/5.0 | 平均的 |
施策(整形外科を重点対象):
- 科長に月2回の1on1を義務化
- 業務効率化で残業時間を削減(診療補助のIT化)
- チームビルディングの研修を四半期ごとに実施
1年後の変化:
| 指標 | Before | 1年後 |
|---|---|---|
| 整形外科のエンゲージメント | 2.8/5.0 | 3.8/5.0 |
| 整形外科の患者満足度 | 2.9/5.0 | 3.9/5.0 |
| 全病院の患者満足度 | 3.2/5.0 | 3.8/5.0 |
| 月間クレーム数 | 18件 | 7件 |
「患者満足度が低い」という漠然とした課題を、データで「職員のエンゲージメント、特に上司への信頼が最大の影響因子」と特定できた。給与を上げるより、マネジメントの質を上げる方が患者満足度に直結するという、直感に反する発見がデータから得られた。
やりがちな失敗パターン#
- データを集めることが目的になる — 大量のデータを集めたが「で、何がわかったの?」となる。まず問いを立て、その問いに必要なデータだけを集める
- プライバシーへの配慮が不足 — 個人の行動データを本人の同意なく分析し、信頼を失う。透明性と倫理的なデータ利用は大前提
- 数字だけで判断する — データは傾向を示すが、個別の文脈を無視してはならない。数字の裏にある「なぜ」を定性的な対話で補完する
- 相関を因果と混同する — 「1on1が多いチームは離職率が低い」は相関。1on1の質が低ければ逆効果の可能性もある。施策を打つ前に「本当にこれが原因か」を慎重に検討する
まとめ#
ピープルアナリティクスは「人事を科学する」アプローチ。問いを立て、データを集め、分析し、施策を打ち、効果を検証する。勘と経験を否定するのではなく、データで補強する。プライバシーと倫理を守りながら、エビデンスに基づく人事判断で組織を強くしていこう。