ひとことで言うと#
人が語る自分自身の物語(ナラティブ)を聴き、問題を人から切り離し(外在化)、見落とされていた例外的なエピソードを拾い上げることで、新しい物語を共に構成するアプローチ。マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンが1990年に体系化した。「人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」が基本姿勢である。
押さえておきたい用語#
- ドミナント・ストーリー(Dominant Story)
- その人の自己認識を支配している主要な物語。「私は失敗ばかりする人間だ」のように、ネガティブな筋書きが固定化していることが多い。
- 外在化(Externalization)
- 問題を人格から切り離し、問題そのものを独立した存在として扱う技法。「あなたが怠惰なのではなく、先延ばしがあなたに影響を与えている」のように語り直す。
- ユニークな結果(Unique Outcome)
- ドミナント・ストーリーと矛盾するエピソード。「失敗ばかり」と語る人にも、実は成功した場面が必ずある。この例外を丁寧に拾い上げることが物語の転換点になる。
- オルタナティブ・ストーリー(Alternative Story)
- ユニークな結果を起点に再構成された新しい物語。「私は困難な状況でも工夫して乗り越えてきた人間だ」のように、より豊かで多面的な自己認識を生む。
ナラティブ・セラピーの全体像#
こんな悩みに効く#
- 「自分はダメだ」「自分にはできない」という自己認識が固定化している
- キャリアの行き詰まりを感じ、過去の経験をすべてネガティブに解釈してしまう
- チームが過去の失敗に囚われ、「どうせまた失敗する」という空気が支配している
- 1on1やコーチングで相手の自己認識を変えたいが、説得では動かない
基本の使い方#
相手が語る「自分についての物語」を、評価せずに受け止める。
- 「あなたはそう感じているんですね」と受容する。いきなり反論しない
- 物語のパターンに注目する(「いつも」「絶対」「どうせ」などの一般化)
- 物語がどの時期から支配的になったかを質問する(「いつ頃からそう感じますか?」)
- この段階では「変える」ことを目的にしない。まず物語の全体像を理解する
問題を相手の人格から切り離し、独立した存在として名前をつける。
- 「あなたが怠惰なのではなく、先延ばしがあなたの生活に影響を与えているんですね」
- 問題に名前をつける(「完璧主義さん」「不安くん」など、本人がしっくりくる呼び方)
- 外在化の質問例: 「その問題はいつからあなたのそばにいますか?」「その問題はどんなときに力を強めますか?」
- 外在化によって「自分=ダメ」から「自分 vs 問題」という構図に変わり、対処の余地が生まれる
ドミナント・ストーリーと矛盾するエピソードを丁寧に探す。
- 「その問題が影響を弱めた場面はありましたか?」
- 「最近、少しでもうまくいった経験はありますか?」
- 「もし親友があなたの良いところを3つ挙げるとしたら、何と言うと思いますか?」
- 小さなエピソードでも良い。「1回だけ」「偶然」と本人が矮小化しがちなので、丁寧に深掘りする
ユニークな結果を起点に、新しい自己物語を構成する。
- 「そのとき、あなたはどんな力を使ったのだと思いますか?」
- 「その経験は、あなたについて何を教えてくれますか?」
- 新しい物語を書き出すことで定着させる(手紙、日記、チームのドキュメント)
- 物語は一度で完成しない。対話を重ねながら、徐々に厚みを増していく
具体例#
入社5年目のエンジニアが、リーダー昇格の打診を2回連続で辞退した。1on1で理由を聞くと「自分はリーダーに向いていない。前のプロジェクトでチームをまとめられなかったから」と語った。
マネージャーがナラティブ・セラピーのアプローチで対話した。
外在化: 「“向いていない"という思いが、あなたに影響を与えているんですね。その思いはいつ頃から強くなりましたか?」→ 2年前のプロジェクトで期限に間に合わなかった経験がきっかけだった。
ユニークな結果を探す: 「そのプロジェクトで、少しでもうまくいった場面はありましたか?」→ 「…実は、途中でメンバーの一人が燃え尽きそうだったとき、自分が1on1をして持ち直してもらったことがあった」
深掘り: 「そのとき、あなたはどんな力を使ったのだと思いますか?」→ 「相手の話を聴いて、一緒に優先順位を整理した。あのときメンバーに"あの1on1のおかげで続けられた"と言われた」
オルタナティブ・ストーリー: 「期限に間に合わなかったことだけが物語ではない。困難な中でメンバーを支え、信頼を得た場面もあった。あなたのリーダーシップは"完璧な進行管理"ではなく"人を支える力"なのかもしれませんね」
この対話の後、本人は3回目の打診を受諾。チームリーダーとして1on1を重視するスタイルで、メンバーのエンゲージメントスコアはチーム平均を15%上回った。
8名の営業チームが4四半期連続で目標未達。チーム内には「うちは負けチームだから」という空気が蔓延し、新しい施策の提案も出なくなっていた。
新任マネージャーがチームミーティングでナラティブ・アプローチを試みた。
外在化: 「“負け癖"がこのチームに居座っているように見えます。この"負け癖"はいつ頃からチームに影響を与え始めましたか?」→ 1年前の大型案件失注がきっかけだった。
ユニークな結果を全員で探す: 「この1年で、“負け癖"に負けなかった場面はありましたか?」
チームから出てきたエピソード:
- Q2に新規クライアントを3社開拓した(目標未達だがゼロではない)
- メンバーAが競合プレゼンで唯一の高評価を得た(受注には至らなかったが)
- チーム内の勉強会を自発的に始めた人がいた
オルタナティブ・ストーリーの構成: 「このチームは、厳しい状況の中でも新規開拓を続け、学びを止めなかった。数字は未達でも、“戦い続けるチーム"としての実績がある」
このミーティング以降、チームの言語が変わった。「負けチーム」ではなく「まだ結果が出ていないチーム」という表現が自然に使われるようになり、翌四半期に5四半期ぶりの目標達成を果たした。
入社8年目のマーケターが「自分はこの会社で成長できていない。転職すべきかもしれない」とキャリア面談で相談した。ドミナント・ストーリーは「8年間、大した成果を出せていない自分」だった。
人事担当がナラティブ・アプローチで面談を進めた。
ドミナント・ストーリーの確認: 「“成長できていない"という感覚はいつ頃から強くなりましたか?」→ 「同期が昇格したのに自分はまだ。3年前の異動でやりたい仕事から外れたのがきっかけ」
外在化: 「“停滞感"があなたにまとわりついているんですね。その停滞感は、あなたのどんな部分を見えなくしていると思いますか?」
ユニークな結果: 面談者が社内の実績データを調べ、以下の事実を提示した。
- 異動後に立ち上げたSNS施策がフォロワー3倍増を達成していた
- 後輩2名の育成を担当し、2名とも高評価で昇格していた
- 社内勉強会の運営を2年間継続していた
オルタナティブ・ストーリー: 「あなたは"大した成果がない"のではなく、成果の定義が昇格だけに偏っていた。SNS施策の成功、後輩の育成、組織への知識還元——これらは"人を育て、組織を底上げするマーケター"としての物語です」
面談後、本人は転職ではなく社内異動を選択。希望していた新規事業チームに移り、「人を巻き込むマーケティング」という自分の強みを活かすポジションに就いた。
やりがちな失敗パターン#
- 外在化を飛ばして「ポジティブなことを考えよう」と促す — 問題と自分が一体化したままポジティブ思考を求めても、「できない自分がまたダメだ」になる。まず外在化で距離を作る
- ユニークな結果を聴き手が勝手に見つけてくる — 「あのときうまくいったでしょ」と指摘するのではなく、本人が自分で発見するよう質問で導く。本人が見つけた例外こそが力を持つ
- 一度の対話で物語を「完成」させようとする — 物語の再構成は時間がかかる。1回の面談で劇的な転換を期待せず、複数回の対話で少しずつ厚みを増していく
- 全員にセラピストの役割を求める — ナラティブ・セラピーのエッセンス(外在化・例外探し)は1on1やコーチングに応用できるが、深刻なメンタルヘルス課題は専門家に委ねる
まとめ#
ナラティブ・セラピーは、人が語る自分の物語を聴き、問題を外在化し、見落とされていた例外的エピソードから新しい物語を共に紡ぐアプローチである。「人が問題なのではなく、問題が問題」という基本姿勢は、1on1、キャリア面談、チームの振り返りなど、職場の対話にも広く応用できる。大切なのは物語を「変えてあげる」のではなく、本人が新しい物語を「発見する」プロセスを支えることである。